フラナリー・オコナーを読んで

洋書(和訳)

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※この記事はネタバレを含みます。

 

「善人はなかなかいない」。こんなキャッチ―なタイトルは、一度聞いたら忘れることはできません。

フラナリー・オコナーという作家と、「善人はなかなかいない」という作品は読んだことがあったのですが、他にもいろいろ読んでみたいと思い、今回はフラナリー・オコナーの作品を読んでみました。

以下に感想を記します。

 

フラナリー・オコナー全短篇【上】

フラナリー・オコナーの作品にはほとんどに共通したものがあると感じました。

まず、アメリカ南部が舞台、あるいは南部出身者が主役で、どの作品にもキリスト教の教えが出てきます。

これはフラナリー・オコナー自身が南部出身で、敬虔なカトリック教徒であったようなので、納得できます(ただ私は作品を読んでいる間、オコナーがキリスト教を肯定的にとらえているのか否定的にとらえているのか分かりませんでした・・・)。

そして他には、保守的な考え方と有無を言わさず突然やってくる悪!暴力!

どの作品も、なんか嫌なことが起こりそうだな~なんて思いながら読んでいると、実際それが起こってしまいます^^; フラグがビンビンに立っており、見事その通りになってしまうんですよね。

あとはもう皮肉の数々!日常で感じるジレンマのようなものを、見事に書き上げています。

具体的に感想を書くと、まずは宗教に関してなんですが、これはオコナーが宗教に賛成か反対か、どちらの立場を取っているかが分かりにくかったです。というか最初は反対派だと思いました。

「信じる人は救われる」とか、「神を信じる人は良い人だ」みたいな、夢見がちとも言えるような意見をひねりつぶすような悪が出てくるので、きっとオコナーは宗教的な考えの矛盾を作品で指摘したんだな、と思っていました。

でも、調べてみるとびっくり。オコナーは熱心なカトリック教徒らしいじゃないですか!

どう考えればいいのだろうと戸惑いました。そして最終的にはこういう結論にたどり着きました。

信仰心を持っていると、現実で起こることとの矛盾に悩むこともあるけど、本当に信仰心があればこの矛盾をも乗り越えて神を信じることができる。

そんなことを伝えたかったんじゃないかな、と思いました。

もうひとつたくさん書かれていたのが、「黒人差別」です。これは南部が舞台である以上、切り離せないテーマですよね。

今読むととても保守的な登場人物たちだなぁ、と思うのですが、オコナーが生きていた時代では当然だったのでしょう。オコナーは南部出身ですが、後に北部のアイオワ州やニューヨークに住んでいるそうなので、その時に自分の故郷の雰囲気を客観視できたのではないでしょうか。

ただ、今の私たちでも抱えている問題も描き出しています。「強制追放者」なんかは、読んでいてドキッとさせられました。

物語は、ナチスによって迫害され、ポーランドからやって来た一家がミセス・マッキンタイアの農園で雇われるところから始まります。ポーランド一家の主ガイザックは非常に仕事のできる男で、ミセス・マッキンタイアは喜びます。同じくミセス・マッキンタイアさんのもとで働いていたミセス・ショートレイは、ガイザックがやってきた代わりに黒人たちは解雇されるだろうと思っていたのに、自分たちが解雇されると知り、農園を去ります。ミセス・マッキンタイアの方は、最初は良いと思っていたガイザックを、だんだん疎ましく思うようになります。そして最後にはぞっとするような結末が待っています・・・。

ナチスによって迫害された人たちの話は学校で習うし、映画などの題材になることも多いです。歴史を習ったり映画を観ると涙を流して、「かわいそうだ」と思う人も多いと思います。

でもじゃあ、その人たちが日本にやってきます、あなたのもとで働かせてくださいってなると・・・話は変わってくるのではないでしょうか?

コロコロと考えを変えるミセス・マッキンタイアでしたが、彼女を責めることなんてできないな、と思いました。

都合よく考えを変えて上手くやっていこうとする狡猾な人間たちと、そうやっても結局は上手くいかないこともあるという皮肉、そしてある種の滑稽さを作品から感じました。

 

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