川端康成作品を読んで&観て

和書

※この記事はネタバレを含みます。

川端康成の作品をいくつか 読んだ&観た ので、感想を記しておきます。

 

「雪国」を読んで

先日、川端康成の「雪国」を読みました。昔読んだことがあったのですが、すっかり忘れていたので、新鮮な気持ちで読むことができました。

いやぁ、これは・・・なんとも美しい。情景がありありと頭の中に浮かんできました。ドラマチックな展開や情景が書かれていたので、なんだか映画的とでもいいましょうか、「美」にこだわって書かれているんだなぁと感じました。前に読んだのが志賀直哉や芥川龍之介だったので、そのスタイルの大きな違いに驚きました。「美」、とくに「日本の美」を追求して書かれた作品は、良くも悪くもわざとらしいので、好き嫌いは分かれそうです。

主人公島村を熱く思い続ける駒子の様子に、見ていられない気持ちになってしまいました。まさに若者の「恋」なんですよね~!寝ても覚めてもあの人のことを考え、何かと言い訳をつけては会いに行き、ちょっとしたひとことに嬉しくなったり悲しくなったり。島村が冷めている分、余計に痛々しく感じられます。でもその駒子の情熱が、島村の目には美しく見えたのでしょう。

そしてもう一人の女性、葉子。こちらは駒子よりも分かりにくい女性でした。真面目な性格なのかしら?駒子と葉子はぎくしゃくした関係のようだったので、表面上は仲良くしているけどお互い思うところがある、って感じですかね。じゃあなぜ仲が悪いのか?

もしかしたら葉子は、病人だった行男のことが好きだったんじゃないかしら、と思いました。本文中にそんなことは書いてなかったですよね?(書いてあったら教えてください~!)正式に許嫁ではないとしても、駒子とくっつくといいなとというお師匠さんの期待を知り、駒子に嫉妬する。そして行男が病気で苦しんでいる中、他の男に夢中になっている姿にもいら立ちを覚える。そんな感じでしょうか。

性格も駒子と葉子はだいぶ違うようですし。駒子は恋愛に夢中になり、男にも上手に甘えられる。葉子は上手くそういうことができないのではないでしょうか。だからいつも真剣そうに見える。ただそんな駒子とは対照的な姿もまた、島村には美しく見えたと。

島村はなんともまぁ冷めた男ですね。家庭もあるようなので、30代ぐらいなのかな?若い女性が少し年の離れた男の、どこか冷めたところを見ると、「大人」だ!と思って恋してしまうことがありますが、まさにそんな感じで駒子も、島村のどこか陰のある雰囲気に惚れてしまったのではないでしょうか?

自分が女性なので、女性があまりにも神秘的に書かれた小説を読むと、「夢見すぎだよ~」って気持ちに正直なってしまうのですが、女性が男性に夢見てることだってあるし、こういうのが男のロマンなのかもしれませんね。それこそ文学はフィクションなので、その中で夢の世界を作ることはその人の自由ですもんね。

ただ「雪国」という小説はあくまでも「美」を表現するために書かれた小説であって、神秘的な女性を書くために書かれた小説ではないと思います。「人の情熱の美」を書くために駒子や葉子というキャラクターが生まれたのではないでしょうか。

なんとも美しい小説「雪国」ですが、特に最後のシーンはため息が出るくらい美しかった!とても劇的で、強く印象に残ります。「どんなラストだったっけ?」と思った方は、ぜひこの機会に「雪国」を読んでください~!^^

 

「千羽鶴」「波千鳥」を読んで

こちらは、読み始めの頃は「うわー!この作品はダメかも・・・」と苦手意識を感じていました。

登場人物たちがとにかく気持ち悪いんですもん!笑

菊治の父親の浮気相手だった栗本ちか子と太田夫人。まあまず父親が気持ち悪いんですが(笑)。菊治になんの罪悪感も感じず会ってしまう栗本と太田夫人も気持ち悪い!栗本なんて、自分のしたことを棚に上げて太田夫人をいじめていて、読んでいてイライラしますし、太田夫人も「ダメなんですダメなんです~!」という態度をとりつつも菊治と関係を持ってしまうのが気持ち悪いし、嫌悪感を持っておきながら肉欲に勝てない菊治も気持ち悪いです。

なんでこんな小説書くんだろう~と思いながら読み進めていたら、だんだんと、その理由が分かったような気がしました。

この小説で表現されているのは、人間の短くドロドロとした関係と、そのそばで常に共存しながらも、決してけがされることなく、ただそこにある茶碗や水指。そのギャップを書きたかったのかな、と思いました。

最初は読んでいて心がざわざわしていたのですが、志野や織部の茶碗が出てくると、だんだんその茶碗の「たださりげなく、しかし厳かに、そこにいる」というスタンスが自分にも移ってくるような感じがするんですね。人間として「うわー栗本やだなー菊治も気持ち悪いなー」と思っていた感情がだんだん消えていって、神の視点(というか茶碗の視点)で、物語を見ることができるようになってくる。そうなって、この小説への拒否感は消えていきました。

このように「日本の美」を表現した川端康成。いやすごいな、と感動しました。

登場人物が好きになれない作品を愛することは私にとってかなり難しいです。でもこの作品では、登場人物たちの気持ち悪さが、日本の伝統美を際立たせるスパイスになっています。嫌悪感をこれほど上手くコントロールして魅力に変えている作品は、今まで出会ったことがありません。いやすごい。

 

「狂った一頁」

一時期SNSで話題になっていた映画「狂った一頁」をご存じですか?

あの映画にも川端康成が関係しているんですよ!

「狂った一頁」は1926年に公開された映画で、監督は衣笠貞之助。脚本は衣笠、川端康成、犬塚稔、沢田晩紅が共同で作り上げたのだとか。主立ってシナリオを担当していたのが川端康成なんだそうです。当時かなり前衛的な映画だったそう。

でも、そうだろうなと思います。だって1926年の映画ですよ!いろんな映像が重なっていたり、強いコントラストだったり、早回しや映像の歪みなど、かなり実験的にいろいろな手法を取り入れたんじゃないかと思います。

もともとはサイレント映画だったそうですが、監督の衣笠が1971年に、火災で失ったものだと思い込んでいたフィルムを見つけ、その際にフィルムを再編集し、音楽を付けたそうです。(私が観たのはこのサウンドありの方です)

サウンドありよりは、なしの方が内容が頭に入ってきそうですが、無音で約1時間はきついかもしれません・・・。

映画を観る前は、タイトルから勝手に「ホラー映画」なのかな、と思っていたのですが、はっきりとしたジャンルがあるわけでもなさそうでした。ただ強いコントラストや、人の奇妙な動きや表情、どんどん早く激しくなっていく踊り、歪んだ映像や能の面など、なんとなくゾワッとするものがそこかしこに詰められていたような感じがしました。

川端康成っぽさがあるかというと、そこはよく分からなかったです。いろんな人が共同で作り上げたものだし、「らしさ」を出すよりかは、「新しいもの」を作り出そうとしたのではないでしょうか?

「狂った一頁」、1時間もあれば観れる映画となっていますので、良かったらぜひ観てみてください!

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