芥川龍之介「羅生門」「トロッコ」等を読んで

小説(和書)

※この記事はネタバレを含みます。

 

先日、芥川龍之介の作品をいろいろとまとめて読みました。

「羅生門」や「蜘蛛の糸」は学生の頃に読みましたが、どんな作品だったか忘れかけていたし、芥川龍之介の作風がどのようなものか知りたかったので、この機会に知っている作品も読み直し、プラス初めての作品もいろいろ読んでみました!

私が読んだのは以下の作品です(年代順に並べました)。

  • 羅生門 1915年
  • 鼻 1916年
  • 芋粥 1916年
  • 蜘蛛の糸 1918年
  • 地獄変 1918年
  • 蜜柑 1919年
  • 杜子春 1920年
  • トロッコ 1922年
  • 藪の中 1922年
  • あばばばば 1923年
  • 桃太郎 1924年
  • 河童 1927年
  • 歯車 1927年

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以下作品ごとの感想です。

 

「羅生門」

芥川作品の中で一番知られている作品じゃないですかね?私は学生の頃読んで、「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな・・・」って老婆の真似をしていた記憶があります(どんな学生じゃ)。

今読み返してみると、もっと鮮明におどろおどろしさが伝わってきます。考え方によって正義はコロリと姿を変える、そんなことを感じました。

「鼻」

どでかい鼻を持つ内供のお話。自分の鼻を恥ずかしがり、短くしたいと内心思う内供だったが、いざ短くしてみると、それはそれで気に食わないことが出てきて・・・な話。

人間の内心を上手に表しています。本当は鼻のことをとても気にしているのに「何?鼻なんて気にしてないよ、でもみんなに迷惑をかけているから、短くした方がいいかもね」なんてスタンスの内供が面白いです^^

内供は最後、結局元通りの鼻を手に入れますが、きっとそれからしばらく経つとまた長い鼻を気にするようになるんだと思います。どう転んでも現状に満足できない人間のお話でした。

「芋粥」

「憧れ」を、憧れのままにしておきたい人の話。

「憧れるのをやめましょう」なんて言葉があるけれど、いやいや!違うんだよオオタニサーン!!世の中にはね、憧れのままにしておきたい人もいるんですよ!

主人公の夢は芋粥をたらふく食べること。もう飽きるくらいに!その憧れを心にしまって日々その気持ちを糧に生きているんです。そんなとき、あるおせっかいさんがその話を聞いて、「よしじゃあ食べさせてやろう!」となってしまうんですね。

夢が現実になるときの恐怖心を描いています。これも人間の心の機微を非常に丹念に観察したからこそ生まれた作品ですね。憧れは、憧れのままにした方が良いのか、それとも叶えたほうがいいのか。どちらの方が幸せなのか考えさせられます。

「蜘蛛の糸」

これもまた羅生門と並んで有名な作品。芥川作品では珍しく(?)、善行を説いた作品です。ただまあ、「蜘蛛を助けてくれたから地獄から救い出してやろう」と考えるお釈迦さまの善悪の判断自体がだいぶゆるい気もする・・・^^; 彼らの気分次第で天国行き、地獄行きが簡単に決まっちゃうんだよ~と言われているような気もします。

「地獄変」

芸術の完成のためにはわが子をも犠牲にしてしまう・・・そんな芸術家のお話。絵師の良秀の中には、そんな芸術家の魂と父親の魂、両方が宿っていたのでしょう。車の中で我が娘が燃えている姿を、恍惚とした表情で眺める良秀。「地獄変」完成のために夢にまで見た光景だったのでしょう。そんな光景を見られたことに一方では狂喜し、もう一方では「娘を捨てた最悪な父親」という絶望の気持ちもあったのでしょう。最後に首を吊ったというのはそういうことなのでしょう。

いや~、究極の芸術家というのはこういう風になってしまうものなのですかね。芥川の中にも似たような気持ちがあったのかもしれません。

「蜜柑」

芥川作品の中では珍しく(?)、爽やかな雰囲気を持つ作品。作品を通して、芥川の人生がいかに、苦しみがデフォルトであり、幸せを感じることが珍しかったかを感じます。

私たちは他人の行動をネガティブな色眼鏡で見がちです。(特にストレスの溜まる通勤列車内とかね)。しかし人の行動には私たちが知り得ない事情があり、それを知ると、自分がいかに偏った視点で人を見ていたかに気づかされます。蜜柑はそんなことを教えてくれる作品ですね。

「杜子春」

(この作品だけやけにアマゾンのレビューが多いのが気になります。バスったりでもしたのでしょうか・・・?)

たくさんあった金を使い果たし、その日暮らしにも困っていた杜子春。そんな彼の目の前に老人が現れ、大金のありかを指し示してくれます。晴れて大金持ちになった杜子春は、その金をすぐに使い果たして・・・。

みたいな、ああーこういう話ね、はいはい、もう先の展開は読めました、って感じる作品なんですが、後半になって予想外の展開がありますね。ちょっと予想外の展開がありつつも、最後は「つつましい生活をしなさい」という訓戒で終わります。最後に老人が家と畑を杜子春にあげることから、「世の中にはまだ良いことがあるし、つつましい生活をしていると不意にこうしたご褒美があるよ」とも言われているような気がしました。

「トロッコ」

トロッコに憧れる少年のお話。ある日、土工の工事の手伝いでトロッコを触らせてもらえた少年。はじめは喜んでいた少年だったが、だんだん遠くへ行くトロッコに不安を覚える。かなり遠くまで来た挙句、「もう帰んな」と土工に言われ、心細く泣きそうな思いで家へ帰る少年。

少年は今や26歳になったが、今でもその心細い気持ちを心の片隅に持ち続けている・・・。

人生というのは孤独で長い旅路だな、と思うことがあります。自分で道を決めて歩いていかなければなりません。自分の選んだ道がどこに通じるかも分からない不安を持ったまま、戻るわけにもゆかず、立ち止まってもしょうがないので歩いていかなければならない。

私は一人旅が好きなので、物語内で起きた物理的な孤独と、それによって起こる心細さはよーく分かります(笑)。一人で人気のない田舎の観光地とか行くと、あれ、これここで急に体調悪くなったり大きな怪我をしたら、誰にも見つけてもらえず死んでいく可能性あるな、と思うこと多々あります(笑)

物理的だけでなく、精神的な孤独もよく分かります。自分の好きなように働きたいと思い、会社を辞めてフリーランスとして働いているからです。自分で自分の人生を選択してきたという自負があります。だからこそ、一人で道を選んでいく不安感や心細さを感じます。

トロッコで少年が感じた心細さは物理的孤独、大人になってから感じている心細さは精神的孤独なのでしょう。

「藪の中」

この小説から「藪の中」という言葉が生まれたのだとか。殺人事件の目撃者と当事者から話を聞くも、それぞれが違った内容の告白をし、真相がどれか分からないというお話。当事者がみんな「私が殺した」と言っているところが面白いです。

「あばばばば」

タイトルを見て「どんな作品?!」と興味を惹かれたのがきっかけで読みました。(そう考えるとタイトルって重要ですね)

主人公が足しげく通う店で働く女性の、内面の変化を書きとめた作品。子を持つと女性は強くなると思いますが、年齢を重ねるだけでも強くなっていきます。こうやってたくましくなっていくと女性的には生きやすくなっていくのですが、女性の美しさや恥じらいを求める男性にとっては不満に思うのかもしれません。ただ作中の彼女にとっては、主人公が彼女のことをどう思おうが、もう痛くもかゆくもありません(笑)。

「桃太郎」

昔ばなし「桃太郎」の別バージョンのお話!とても鋭く、桃太郎のお話のおかしな点に切り込んでいます。

なぜ桃太郎は普通の仕事をせず鬼退治などしようと思い立ったのか、なぜ鬼が悪者だと決まり切っているのか、犬と猿と雉は仲良くできるのか・・・などなど。シュールです。

結構ブラックな話になっているので、心のまっすぐな人は「芥川ってひねくれてんな~」と思うかもしれません。私はひねくれているので、楽しめました(笑)。

そして、「悪者ではないのに悪者だと決めつけられた者が、周りの影響を受けて実際に悪者になっていく過程」が描かれていました。

「河童」

河童の世界に住んでいたという精神患者のお話。「桃太郎」のときに感じたシニカルで厭世的な雰囲気が、より強くなっています。河童の世界を通して、人間社会への不満を表したのでしょうか。ショックな言葉を言われただけで死んでしまう神経過敏な河童。もしかしたら芥川も河童と似たように繊細だったのではないでしょうか。そしてそんな自分を、人間とは別の生き物、河童か何かのようだ、と思っていたのではないでしょうか。そんな風に感じさせる作品でした。

「歯車」

「河童」よりもさらに直接的に精神の崩壊を記した作品になっています。創作も入っているとは思うのですが、大部分が芥川本人の自伝のような体をしています。

至る所で見かけるレエン・コオト。なくなるスリッパア。「A先生」という嘲りの言葉。通りすがりの人たちの言葉・・・。いろいろなことに神経を乱されている様子がリアルに描かれています。たまたま近くにいる人たちがこうもみんな外国語を話すものかしらと思うので、幻聴や幻覚もあったのでしょう。

ここまでくるとさすがに読んでいて辛いです。同じ心境にある人からすれば、慰めにもなるのかもしれませんが、あまり人にはおすすめできませんね。

 

まとめ

芥川龍之介は、「河童」や「歯車」を書いた1927年に自殺しています。それを考えると、作風の変化にも頷けます。「河童」や「歯車」は本当に厭世的で、読んでいて心がずっしりとします。自殺した年の作品が読めるというのもなかなか衝撃的です。最後の作品など、どんな感じなのでしょうか・・・。

しかしまあなぜ小説家というのは精神を病んでしまうのでしょうね?自分の精神の機微を観察しすぎて、神経過敏になってしまうからなのでしょうか?もともと繊細な人が小説家に向いている、というのもあるとは思いますが・・・。

そして、芥川龍之介の好きな作家は、志賀直哉とのこと。志賀直哉の作品を読んだ感想も記事にしているので、良かったら読んでみてください↓

志賀直哉「城の崎にて」「和解」等を読んで

また谷崎潤一郎とは、小説の芸術性について相対する考えを持っていたようなので、今度は谷崎潤一郎の作品も読んでみようと思います。誰の作品が一番自分の好みに合うか、探し出したいと思います!

さて、芥川の作品を読んで感じた印象ですが、アフォリズムを表現するのが得意なんですね。特に初期の作品ではその傾向があるように感じます。

文なんですが、結構細かく解説を入れる傾向がありますね。〇〇が〇〇で〇〇だったから、〇〇と思ったのです。みたいな。そこまで書くと「いや説明を入れちゃいかん!もっと読者を信頼して、そこは省け!」と言われそうな気もするのですが・・・。あとやはり、そこはかとなく「賢さ」を感じますね。本当に賢い人の文章は、賢さが匂い立ってきますね(笑)賢さを自慢しようとするまでもないといった感じです。

私のお気に入り作品は「トロッコ」でした。一番共感できるし、厭世的過ぎもせず、ただそこにある問題を書き表しているだけなのがよかったです。あまり訓戒めいた作品は好きじゃないのですが(笑)、この作品にはそういった雰囲気もなかったので。

さてさて、次はどの作品を読もうかな~。

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