(この記事はネタバレを含みます。)
志賀直哉の作品を読みました。
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志賀直哉といえば、「城の崎にて」や「暗夜行路」で有名ですね。
昔読んだ記憶はあったけど、どんな作品だったかすっかり忘れてしまったので、上記の本を読んだ次第です。
読んでみて、表現がとてもシンプルで直接的だと思いました。ときには女子高生が書いた文かと思うこともありました(笑)(私個人が感じた意見なので、世間一般の批評とは全く違うと思われます^^;)
ただそれぐらい、まっすぐに表現がしてあると思ったのです。
~~して、~~があった。すると~~に~~された。~~と思った。
みたいな、短い文で明瞭に意見を述べる、そんな作風のように感じられました。
言葉選びや文法などに関しても、ルールに則った硬いものではなく、なんとなくカジュアルなもののように感じました。
「城の崎にて」を読んで
今回久しぶりに志賀直哉を読み直したのは、「城の崎にて」を再読したかったというのが一番大きな理由です。
学生の頃読んだ記憶がありましたが、どんな話だったかすっかり忘れていました。
なんとまあ、読後の「ぽっかり感」がすごいこと!
療養のために城崎温泉へやって来た主人公。電車に接触したことが原因で死についてよく考えるようになり、小さな蜂や鼠の命に思いをはせ、命を奪うことに無頓着な他人に嫌気がさす。しかし当の自分がイモリに接したときに、その気もなかったのにイモリの命を奪ってしまう。
命の炎はあっけなく消えてしまう。その炎が消えるか消えないかは、偶然のようなもの。
命ってなくなるときはあっという間になくなってしまうんですね。日本は災害大国だから、そう思うことがたびたびあります。命のはかなさと、それでも何事もなかったように流れていく時の不変さを感じました。
しかし私はこの読後の「ぽっかり感」が大好きでして、いつかまた「ぽっかり感」が残る作品といったテーマで記事を書いてみたいと思いました!
「和解・小僧の神様 ほか十三編」より、他の印象的な作品
個人的には「児を盗む話」にかなりゾワゾワしました。創作であることは分かっているんですけど、志賀直哉の心の機微の表現が上手すぎるせいで、「この人本当に、児を盗みたいと思ったことがあったんじゃないか・・・!?」と疑ってしまいました。今SNSに載せたら炎上しそうな作品ですね(笑)
私は創作は自由にするべきものと思っているので、良いと思っていますが(倫理的にやってはいけないことを創作するのもダメになったら、戦い系の作品も何ひとつ書けなくなってしまいます)、「児を盗む話」のような作品を発表するのはなかなか勇気がいるのではないでしょうか・・・(私みたいに疑うやつがいるからね^^;)
「和解」は私が読んだ作品集の中でいちばん長い作品だったこともあり、印象に残っています。
こんなことを書くということは、実際に父親と不和だったのかしらと思って調べてみました。これは本当に、不和だったみたいですね。それが和解したから、この作品を一気に書き上げたのだとか。
父と子、お互いに嫌悪をどんどん積み重ねていったものだから、和解なんてできないんじゃないかと疑りながら読んでいたんですが、まあやっぱりタイトルにもある通り、最後は和解できましたね。
様子のおかしくなった赤ん坊を必死に助けようとして、少し希望の光が見えたにも関わらず、やはり亡くなってしまうところが読んでいてとても辛かったです。細かな描写が本当にリアルで、同じ時間をリアルタイムで作中の登場人物たちと過ごしている感じがします。きっとそこもまた志賀直哉の魅力なんでしょうね。
まとめ
以上、志賀直哉の作品集を読んだ感想でした。
まっすぐで明瞭な文章を書く志賀直哉。読みやすくて心理描写が細かくて、まるで主人公と同じ時間を過ごしているかのように感じる作品ばかりでした。
この方が亡くなったのって1971年なんですね! それじゃあだいぶ最近の人じゃないか!「歴史上の人物」って考えていると、だいぶ昔の人といったイメージになってしまいますが、ほんの数十年前までご存命だった方なんだなぁ~。文豪たちがどの時代に生きていたかもあやふやだから、また年表もつくりたいなぁ~。


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